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親として 

 こんばんは、今日も早めに書かせていただきます。理由はこれと言ってないのですが強いてあげるなら明日の朝が辛くなる・・てことぐらいですね。

 では本題へ

 皆さんもご存知かと思われますが、園児二人が刺殺されてしまいました。これを聞いただけでも遺憾の念が沸いてきますが更に驚くべきは犯人がその園児の友達の母親とのことです。とても信じられません。通り魔が犯人だというならば語弊があるかもしれないが遺憾の念は多少減る。今回はとても身近なところに犯人がいたことで周辺の人々、同じところへ通う園児、その親に多大なショックを与えたのではないかと考える。
 また理由がくだらない、「自分の子供が馴染めないのは周りの子供が悪いからだ。」、馬鹿な事を。確かにそれもあるかもしれない、しかしもっともな理由は子供の努力不足、いや、そうさせるように日々教育をしてこなかった親自身の問題ではないかと考える。馴染めるかどうかには人との相性が大切であるが、園児くらいの子供のならば仲間にしてもらいたいと言う気持ちを行動に出していけば、周りの子もそれなりの反応を示すはず、もしそれで無ければもはやイジメとなり馴れるなどの問題ではなくなると考える。

 この時期の子供に我慢しろと言うのはおそらく難しいだろう。だけどぶつかっていく事はできるのではないかと考える。そしてその行動に勇気づけることは親ぐらいにしかできないと考える。前~~~~の記事に《教師は道を示さなければならない》のようなことを書いたが、それに対して親は《子供と向かい合い互いに励ましあい力となっていかねばならない》、のような感じかと考える。あくまでこれは自分の理想論であるがこれこそあるべき姿ではないかと考える。
 ここで勘違いしてもらいたくないのは、《力》とは心の力であり、行動による力、大げさに言えば権力による力ではない、ということである。つまり、今回の事件のような事である。犯人である親は周りの子供に対する恨みの念を持っていただろう、しかしその根底には子供のためを思う気持ちがあったはずである。周りの子供を消せば自分の子供が楽になる、のようなことだ。しかし結果としてどうであろうか?結局は親が捕まり子供は犯人の子供としてよりいっそう辛い日々を送らねばならなくなったのではないか。それでも今までの状況よりはマシと考えたのか?仮にそうだとしても、殺された親の気持ちはどうなるというのか?その親も自分の子供を愛していたはずだ。それを思いつくことができなかったのか?

・・・・・結局は悲しみの連鎖となるだけである・・・

 愛する心はとても大切なものである。しかし異常な愛は時として周りに多大な影響を与える。そうあってはならないのだ。親子の関係だけではない、あらゆる関係にそれは言えることである。ただ、子は親から学ぶことが多い。親としてそのあり方をしっかりと考えるべきであると考える。

 今回の事件はとても悲しいものだ。今後起きないように願いたい。


 ちなみに自分の親が理想論に当てはまるかどうかと言えば・・微妙ですね。以上目の充血のひどいαでした。
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[ 2006/02/18 21:43 ] 世相を考えるーα | TB(0) | CM(2)

TBさせていただきました

調子にのってTBさせていただきました。
よろしくです^^:
[ 2006/02/19 10:56 ] [ 編集 ]

失礼します。

はじめまして。ちょっとコメント残していきます。
わたしはこの事件、日本人の集団性が根本の原因にあるように思います・・・。
日本人(とくに女性)独特の群れる習性と言いますか、そこに馴染めなかったお母さんが復讐として2人の子どもを殺したのだと。
親としては、自分より自分の子どもに危害が加わってしまうほうが胸が痛むでしょうし・・。
孤立してしまった一人の人間として、加害者であるお母さんが可哀相でもあります。(と言っても許される罪ではありませんが。)
それ以上に、目の前で友人が殺され親は殺人者として捕まってしまった、娘のほうが可哀相に感じられます。
[ 2006/02/19 23:21 ] [ 編集 ]

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